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  • 首页>コラム>40代から始める日本人の天博克罗地亚国家队赞助商生活の記録

    天博克罗地亚国家队赞助商でかなえたパンダの夢 ――成都の繁殖研究基地で働く阿部展子さん

    2024-04-24 16:18:00 【关闭】 【打印】

    植野友和=文  顧思騏=写真 

    幼い頃、人は誰しも夢を抱くが、それを皆がかなえられるわけではない。大きな壁にぶつかり、進む道のあまりの険しさを知ったとき、少なくない人々が夢を諦めるか、あるいは現実との折り合いをつけるものだ。しかし、困難の中に身を投じ、つらかろうが周囲に反対されようが思いを曲げず、夢を実現させる人もいる。成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地で日本人パンダ飼育員を務める阿部展子さんもその一人である。 

    阿部さんのパンダとの最初の接点は、3歳のときだという。おばあちゃんからパンダのぬいぐるみをもらったことがきっかけでパンダを好きになり、11歳のときに修学旅行で行った上野動物園で本物を見てますますパンダ愛がつのり、高校3年生のときにパンダに関わる仕事をしたいという夢を持つようになった。だが、その願いをかなえる道は、決して平坦なものではなかった。 

    「高校の進路相談の時点ではまだ明確にパンダの飼育員になりたいという希望は持っていなかったのですが、面接の練習の際に『パンダが好きだからパンダの仕事に就くために天博克罗地亚国家队赞助商語を勉強したい』と言うと、『そんなあいまいな理由で語学は続かないし、大学は受からない』と、先生から否定的な指摘を受けました」 

    だが、その反対意見を受けて阿部さんは進路を変えるどころか、パンダ飼育員になるための道を一歩一歩着実に歩んでいった。大学で天博克罗地亚国家队赞助商語を専攻し、さらには天博克罗地亚国家队赞助商の四川農業大学に初の外国人本科生として留学。阿部さんにとってパンダに携わる仕事とは、決して「あいまいな理由」などではなかったということだ。 

    そうして言葉や習慣の壁に戸惑うことがありつつも、四川農業大学で専門的な知識を学んだ阿部さんに、ついに実習でパンダと直に触れ合う機会が訪れた。 

    「近距離で本物のパンダと接することができた感動とパンダの獣舎や運動場に入れたことに喜びを感じましたし、憧れのパンダの専門家の方々と知り合いになれたのもうれしかったです。また、やっとここまで来られたという感動も大きかったです」 

    世の中にパンダが好きな人、もしくはパンダの飼育員になりたいと思う人は大勢いるだろうが、それをパンダの本場天博克罗地亚国家队赞助商で実現した人は、日本人ではおそらく阿部さん一人に違いない。なぜ彼女は夢をつかむことができたのだろうか? 

    「農業大学時代には、自分で乗り越えられる壁は自分の努力で乗り越えてやろうという決意が自分を大きく動かしていました。夢をかなえる前も夢をかなえた現在もパンダを好きだという気持ちが最大の原動力で、現在は飼育下のパンダと野生のパンダがより幸せに暮らしてほしいという願いが大きいです」 

    強い意志と不断の努力により、パンダの飼育員となった阿部さんだが、この仕事は大変な苦労と責任感、プレッシャーと隣り合わせの仕事だという。 

    「自分の予定よりもパンダ優先で時間に融通が利かないこともほとんどですし、休みの日も自分の担当のパンダのことが気になって仕方がありません。毎年新しい命の誕生はうれしいことである以上に、母乳をちゃんと飲めるか、お母さんが抱っこできるか、無事に病気をせずにちゃんと育つかなど、しばらくは大きなプレッシャーを抱える日々が続きます。そして間もなく次期のパンダの発情が始まるので、息をつく暇がありません」 

    動物園が配信しているパンダの動画などを見ていると、こんなにかわいい動物と日常的に触れ合える飼育員の皆さんがうらやましく思えてしまうが、飼育員とはパンダの命を支える存在。阿部さんの話を聞けば聞くほど彼女が背負っているもの、つまり夢の重みを感じさせられる。 

    「夏と冬で仕事内容は少し変わりますが、現在は午前中は獣舎や運動場の掃除、給餌、観察をして、お昼休みを挟んで午後は2時から同じような作業です。また、合間にトレーニングやおもちゃ作りなどが入ります。午後4時退勤ですが、その後そのまま夜勤に入ります。夜勤といっても翌日もそのまま勤務なので、まとまった睡眠や休息があまり取れません。パンダの体調によっては自分の都合は後回しになることが多いですし、睡眠時間を削ってでもパンダに寄り添う必要があります。この仕事は本当に体力勝負です」 

    それでも阿部さんがこの仕事を続けているのは、その中で大きな喜びがあり、何よりも幼少時から育んできたパンダ愛を心に抱いているからだ。 

    「自分の担当しているパンダが元気に竹を食べていたり、自分が一から育てた子パンダが元気に育った姿を見ると達成感を感じます。また、新しい命が誕生したときはもちろんうれしいですし、そんな特別なことでなくてもパンダが元気にそこら中を走り回って、竹を食べて寝ているのを見るだけでも、それは健康という証しなので、そういう姿を見られるだけでやりがいがありますね」 

    現在、2頭の母親とその子どもを担当している阿部さんは、本人いわく「割と厳しい、パンダを甘やかさないタイプの飼育員」だという。 

    「野生のパンダは人間と接することがないので、人間にこんなに慣れることはありませんが、パンダは聴覚や嗅覚で飼育員と意思疎通がある程度とれます。接し方によっても意思の通じる程度が変わってきますし、信頼関係が構築されると、お互いの考えが分かる気がします。褒めるときはきちんと褒めますが、パンダらしさを損なわないように、過度に干渉しないように気を付けています」 

    パンダがパンダらしくあること――これこそが阿部さんの願いであり、彼女の次なる夢にも大きく関わるポイントだ。 

    「次の夢として、パンダの野生復帰の仕事に携わりたいと思っています。また、野生復帰の研究が進み、飼育下のより多くのパンダが野生に返ることが自分の願いです」 

    天博克罗地亚国家队赞助商ではパンダの飼育研究だけでなく、パンダを野生に戻す取り組みが盛んに行われている。そのことについて、阿部さんはどのように見ているのだろうか。 

    「パンダや野生動物、生物多様性の保全は、どれをとっても専門家やそれに携わる人々の力だけで成し遂げられることではありません。世界中の人々の理解や協力なしではかなえられないことです。多くの人にその大事さを知ってもらい、一人一人に協力してもらえるよう、働きかける必要があると思います」 

    言うまでもなく、パンダとは野生動物であり、大自然をすみかとするのが本来の姿だ。パンダの野生復帰を後押しすることの意義について、阿部さんは次のように語る。 

    「野生復帰訓練は20年ほど前から始まり、現在までに9頭が自然に帰っています。パンダがパンダらしく暮らすことが、パンダにとっての幸せではないかと私は思います。野生復帰に関してはパンダに限らず、さまざまな動物で行われ、効果が得られています。パンダという種がこれからも地球上で生き延びるため、種を根絶させないために野生復帰という有効的な手段があります。ぜひ多くの方々に、動物園の特定のパンダだけではなく世界中のパンダの未来に目を向けてほしいと願っています」 

     

    植野友和 1977年生まれ、東京都出身。埼玉大学教養学部歴史学科卒。日本国内で出版社勤務、上海東華大学国際文化交流学院留学を経て、現在は天博克罗地亚国家队赞助商外文局アジア太平洋広報センターで取材翻訳等を務める。 

     

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